私が生まれるずーーーっと前からメキシコと出会う運命になっていた

私がメキシコと出会ったのは15年くらい前。

 

 

語学交流サイトで世界中の人と話し始めた時です。 メキシコの人が何人かいて、その他にイタリア人、中国人、フランス人、インドネシア人など、多くの人が日本語に興味を持っていました。

 


本音を言うと、その頃の私はメキシコにはあまり興味がなくて、イタリアやフランスなど、他の大勢の日本人同様、ヨーロッパに 憧れていました。

 

メキシコがどこにあるのかもわからず、乾燥した大地にサボテン、ソンブレロをかぶってポンチョを着た人のイメージしかなかったのです。

 

 

でもメキシコに来てみて私のイメージがガラッと変わりました。

 


メキシコシティは都会でサボテンはどこにも見当たりません。
高層ビルが立ち並んでいます。


だれもソンブレロのような帽子をかぶっている人はいません。

 


そしてメキシコの人と話したり、街中を歩いたり、博物館に行ったり、大学のキャンパスを歩いたりしているうちに、 メキシコって歴史もあるし、人々は親切で陽気だし、すごく興味深い国だな、ってますます思えてきたのです。

 

 

よくよく歴史を調べると、日本とメキシコの繋がりは江戸時代に遡ります。


伊達政宗がスペインの技術をもって船を建造させ、支倉常長を始めとする使節団が1613年にアカプルコへ向けて出航していたそうです。 船の名前は「サン ファン バウティスタ号」、なんと私の田舎の「月の浦港」から出帆していました。

 


私の祖母の実家が造船所の頭領だったので、きっと当時のプロジェクトにも従業員総出で駆り出されていたんじゃないかといます。 当時の資料が残っていないのでわかりません。推測です(笑)

 

 

1990年から3年かけて「サン ファン バウティスタ号」が復元され、私がはじめて船を見に行った時、 船の説明がいたるところにあったと思いますが、(読んだのかもしれませんが)一切記憶になく、興味もなく、 ましてや「こんな田舎にこんな帆掛け船作って、誰か見に来る人がいるのかね?」などと思っていました。

 

 

父が亡くなり、家が津波でなくなり、今頃になってふと実家に飾ってあったものを思い出すと、 「そういえば居間の柱に飾ってあったのはメキシコのソンブレロだった。

 

小さい頃から毎日見ていたにもかかわらず、 船乗りだった父がどこから買ってきてくれたお土産なのかも、あの時はわからなかったなぁ。。。」って。

 

 

メキシコとのはじめての出会いは、私が気が付かなかっただけで、というか興味がなかったから気にしていなかっただけで、 実は幼稚園に入る前から出会っていたのです。

 

ある意味、私が生まれる何百年も前から、私はメキシコとの繋がりが合って、いつかメキシコに来る運命になっていたんじゃないかな、 って思ったりします(笑)

 

 

 

そう考えると繋がりってホント面白い。中島みゆきの「糸」みたいだなって思います。

 

 


東日本大震災から石巻復興のシンボルとなっていた「サン ファン バウティスタ号」ですが、震災10年の令和3年3月で 一般公開をやめて解体するそうです。

 


日本とメキシコをつなげた船がなくなってしまうのはとても残念です。